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"普通ルネサンス"
エキセントリックに退屈しています、mand1です

鈴木慶一御大が「マニアの受難」を歌われたのが1986年。"変わってる"の終わりが告げられてから、はや四半世紀が過ぎようとしていますが、改めて私は今、"普通"の再興を求め、"普通ルネサンス"をここに宣言したいと思います。

確かに昔には"変わっている"だけで価値が認められる時代もありました。保守志向が強く、社会に揺るぎない安定があった頃は、既成概念を揺るがす異端としての役割が"変わっている"ことにありました。権威や大衆と闘うことを行動原理としているゆえ必然的にマイノリティであり、時代を先駆する孤高なレジスタンスとしてのイメージがありました。
しかし現在、周りを見渡してみればどうでしょうか。ネットの世界はいうまでもなく、電車の中にもお隣さんにも、変人はそこらじゅうに溢れていて、異端と呼ぶにはあまりにも数が多すぎます。

他人に対する思いやりがあって我欲を抑えられる偏りのない性格。広い知識や豊かな経験を持ちながら秘めごとにしておける慎ましさ。個性礼賛のご時世において、こういうバランスのとれたペルソナは凡庸の烙印を押されるのかもしれません。レジスタンスとしてのイメージにはおよそそぐわないかもしれませんが、変人が一般化した現代社会において、その希少性をもって際立ち、カウンターとしての役割を担うのはバランスのとれた普通の人達でしょう。変人が真の意味において変人で居られた時代に対し、"普通"と"変"が数と役割において主客転倒しているのが現代なのだと考えています。

今さら"普通"宣言をすること自体、何とも時代遅れと慶一御大に笑われそうですが、現代における"変わっている"とはどういうことを示すのか、変人を自認する方々に、改めて問いかけてみたかったのです。
[2013/01/29 18:27] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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