馬だ!
ガソリンと水、どっちが高価なのでしょうか? mand1です

ある世代にとって車(自動車)はまったくステータスシンボルにならないと云われて久しいですね。
私の場合、車というよりバイクでした。振り落とされそうな暴力性そのものにも魅せられましたが、抑圧された世界から自由へと抜けるためのドアのような、希望の象徴でもあったのかもしれません。

私が暮らす、うなぎで有名なこの地では、いまだに古典的な”族”の方々が、夏休みはこの時とばかりに夜な夜な低速爆音走行を披露しています。彼等の関心はスピードでなく、目立つことにあることに関する考察は、以前このブログでも述べました。"目立ちたい人"の心根は察しがたいですが、本当に目立ちたいのであればもっと効果的なやり方があります。
また、都市部においては”族”の方々のような無粋なやりかたでなく、車のヒエラルキーや特殊性でしのぎを削り合っていたりもしますね。ただ、これだけメルセデスもジャガーも”普通”になってしまっては、どんなすごい車をもってきたとて、大勝ちすることは難しいでしょう。そんな貴方にも必勝のカードをお教えします。



馬ですよ。


え、フェラーリのことじゃありません。本物の馬(うま)です。

想像してみてください。馬でカフェに行ったり、買い物に行ったりするのです。小粋じゃないですか?
女性が颯爽と馬に乗ってやってきたりしたならば、その場のすべての視線を釘付けにすること間違いなしです。どんなに素敵なフィアットでもアルファでも、注目度という点において馬にはかなわないでしょう。
また、”エコ派”の方々にも理論を実践することができてよいでしょう。電気自動車だなんて言ったってその電気はどうやって作る? それに自動車を造ることそのものがどれだけのエネルギーを使っているでしょうか? 馬ならば元気な雄と雌がいればそれだけでOKです。ガソリンも電気も要りません。草と水で動いてくれます。

しかし馬も一般化して街に溢れ出すと、また差別化を図りたい欲求を抑えきれなくなるのは、目立ちたがりな人々の性(さが)でしょう。「馬はもう終わった。これからは牛だ」と、牛車(ぎっしゃ)がモードになるかもしれません。フェラーリとランボルギーニの代理戦争のようでもあり、おもしろいですね。

冗談のように思われているかもしれませんが、本気です。車を電気にするのでなく、馬で事足りる程度の距離に生活に必要なすべてが集約されている、そんな街に暮らしてみたいのです。反原発とかロハスからの発想では決してないのですが、政府や電力会社との戦いよりも、馬のある暮らしを創り出すことのほうがもっと愉快で、希望を見いだせると考えています。
[2012/08/20 19:51] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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