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不自由な自由
ユーリカ!mand1です

先日、精神分析医の藤田博史先生主催のマンスリー対談に参加してきました。

普段からあれこれ思いを巡らし、妄想を膨らませるのが習慣になっており、いろいろ質問してみたいことでいっぱいだったのですが、なにぶん対談は不慣れで、期待と不安の入り交じった、コンサートとは違う緊張感に包まれつつ臨みました。

精神分析の先生との対談ということで、ちょっとした素振りや反応から私の中のあれこれを見透かされるのではないかとの畏れもありましたが、どうせ私の頭の中など隅々まで観察したところで、”凡庸”と書かれた札が一枚見つかるだけです。先生とのお話を楽しんで、ただ己の好奇心にのみ忠実に質問をすればよいと自分に言い聞かせました。

テーマは「不自由な自由」。音律や音階のしばりのないテルミンは;自由な;楽器と目されることが多いのですが、音律や音階に基づいた曲を演奏するとなると、それら”律”や”階”を己の中に創り出さねばなりません。演奏したことのある人であればわかると思うのですが己を高度に律せねばならず、テルミン演奏はとても”不自由”なのです(秩序のない”フリーミュージック”などの演奏の場合を除く)。

不自由な環境にいるときは;自由;に憧れ、強く求め、それさえ手に入れられたならすべての問題が解決されるような”約束の地”としてイメージされますが、果たしてそうなのかとの問いが、このテーマを設定した理由です。これまでインターフェース論でしかテルミンの魅力、、テルミン文化の受容理由について説明できなかったのですが、先生とのお話のなかで、まるで違う切り口でテルミンについてとらえることができ、なぜ今テルミンが求められるのか、なぜテルミン愛好者には女性が多いのかという点について、自分なりに明快な答えを得ることができました。秩序なく漂っていた考えに筋道が与えられ、頭の中の靄が晴れるような瞬間は快感です。

このブログでは書ききれない多くの発見がありました。またいつか機会があればそれらについてご紹介できるかもしれません。今回は時間切れだったのですが、どこまでも膨張する個の自由(エゴ)と社会はどう折り合いをつけられるのか、個の自由が無制限に保証される環境は果たして幸せといえるのかといった点について、先生とお話できる機会が再びもたらされればよいなと、密かに願っております。
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[2009/12/23 23:28] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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