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[2015/09/01 13:34] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
多様性について考えた
選択肢が多いのは幸せか? mand1です

2020年の東京オリンピック、パラリンピックの公式エンブレムが披露されましたね。審査があって、複数のものの中から選ばれた一点だとのことです。私はデザインの専門家ではありませんが、何か変です。ここにはこういう意味が、それにはそういう意味がといちいち説明できるようですが、全体としてデザインの力強さがまったく感じられません。決して懐古趣味ではないのですが、1964年のオリンピックの時のデザインのほうが遙かに優れていると思うのは私だけではないと思います。

自由と多様性を意識し過ぎるがあまり、もっともおかしなもの、もっとも人気のないものを選ばせてしまう圧力が働いてはいないでしょうか。昨今のテレビCMやドラマなど見ていても、かつて主流の座を占めていた美形は不在。私の眼から見ると、かなり厳しい感じの人がメインストリームに居ます。以前、ふと見かけた女性のヘア・スタイルカタログのモデルさんたちは、こんな言い方をしては失礼ですが、並、もしくは並以下の方々ばかりです。本当に多様性を尊重するのであれば、美形の人もその中に入れてあげてしかるべきです。こうしてみると多様性って、かつての女性解放運動のモーメントとよく似た、立場を反転させようとするだけの、革命暴力的な思想のような気がしてきます。これまでワゴンセールとして十把一絡げだったのが、それぞれに価値が与えられ棚が用意された。ただ、それだけでは気が済まず、かつて最上段の棚にいた奴を引きずり下ろせといった不寛容さと暴力性を感じずにはいられません。

良いものが素直に選ばれない時代。昔にくらべ世の中はずっと自由になったはずなのに、なんだか以前より不自由になっている気がします。不自由さが自由のコストだなんて、皮肉というか矛盾していますね。

[2015/07/24 21:13] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
14歳のわたし
Back to ’81、mand1です。

1981年、14歳の頃の私のライブビデオを久しぶりに観る機会がありました。もちろんテルミン演奏でなく、バンドのキーボード奏者としてです。テクノは一切やらないのに”Techno Paradise(テクノパラダイス)”と名乗る、アリスのコピーバンドでした。中学生はときにおかしなことを考えるものです。

私はもともと音楽というよりも、音そのものに興味があり、カセットテープレコーダーを肩に担ぎ、自然の音を録音しては自宅に帰って聴く「生録」に興じる小学生でした。iPhoneなど、誰にでも簡単に録音できるツールが普及した現代からすれば、そんなことをして一体何の意味があるか理解に苦しむ部分もありますが、録音して聴くという行為そのものが、とにかく面白かったのです。生録小僧の憧れはパラボラ集音器でしたが、小学生の小遣いで買えるものでなく、傘をパラボラ集音器替わりにするなどして代用しました。そういうことを指南する本があり、雑誌の特集なども組まれ、SLが走る音やサファリラリーの音などがLPレコードに収録され売られている、そんな時代でした。

私の音楽への目覚めは遅く、音楽との能動的な関わりは先述したバンド加入がきっかけでした。私の兄がギターの弾き語りなどに興じており、弟の私もきっと何か音楽ができるのではないかとの推測から私を誘ったのでしょう。しかし私は音楽はからきし門外漢で、和声の概念も分からず、どうして鍵盤には黒鍵が必要なのかすら理解できない状態でした。中学三年の夏、部活動のバレーボール部も一回戦で早々と敗退し、ちょうどよい暇つぶしにもなるかと思い、軽い気持ちで引き受けました。我が家にはピアノなどありませんでしたが、当時ヤマハからポータサウンドという、楽器初心者でも自分で伴奏を付けながらメロディを弾けるキーボードが発売され、兄がそれを持っていました。そのキーボードを用い、音楽理論について分かりやすく兄が説いてくれました。音楽は数学的な秩序でできていることが分かり、これなら自分にも理解できるかもと希望が見えました。最後に加入した私がメンバーの中で最も音楽理論を理解している存在になるのに、それほど時間を要しませんでした。高校の受験勉強も始めなければならない頃でしたが、それほど音楽にのめり込んでいたのです。

メンバーは秋の文化際でコンサートをやると言っていますが、具体的なプランがあるわけでもなく、私はこのバンドのコンサート開催を実現するためのプロデューサー的な役割も担うはめになりました。当時全国的に校内暴力の嵐が吹き荒れていましたが、地域の中でも群を抜いて名高かったのが、私の在籍した中学校でした。先生は殴られる、トイレはたき火になるなど、暴力と大騒ぎで、毎日たいへん賑やかでした。ドラムを担当するバンドの中心的メンバーは、バイオレンスの中心的存在でもあり、その彼とはクラスメートで私は学級委員を務めていました。そんな彼がコンサート出演などしたならば、大げんかがはじまったり、それは収拾のつかない”事件”になってしまう恐れもあり、学校としても許可しない方針のようでした。彼は私の保育園からの幼なじみで、私の言うことはよくきいてくれました。企画書のような嘆願書のような書類を携え、なんど職員室に出向いたかしれません。
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きっとどなたか先生が、自分が責任を負うからと強く推してくれたのでしょう、我々のコンサートは開催できることになりました。ただ、会場は照明、音響設備もなければ舞台すらない、ただがらんとしただけの屋内体育場でした。今でこそ学祭パックだとかいって、一式揃うようなサービスもありますが、当時そんなものはありません。いよいよ受験勉強の時間を割いて、音響システムの勉強を始めました。小さな頃から生録やラジオドラマ制作に興じていましたから、まったくの門外漢ではないのですが、ミキサーを中心としたシステムなどこれまで扱った経験などありません。照明を吊すにもバトンもなく、天井のルーバーに直接ひっかけることにしました。しかし調光卓など手配できるはずもなく、あったとしてもそんなもの使いこなせもしませんから、壁コンセントにスタッフを置いて、直接プラグをコンセントに抜き差しするなど、今から思えば冗談のようなオペレートをしていました。しかし気まぐれに明暗するのでなく、すべての曲のキューシートを作り、照明を演出し、曲の進行に合わせ明暗をプログラムしたのは、自分ながら中学生にしてはよくやったと思いました。
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現在私たちがイベント開催の際におこなう、スタッフ要員のマネジメントは、この時の経験から始まっています。ある人は図工室から大型の机を持ってきて舞台を組み上げ、またある人は暗幕が無い会場だったので新聞紙で窓という窓をすべて目張りしてもらうなど、みんなで協力して何かを作り上げていく醍醐味を、この時知ったのしょう。

蓋を開けてみれば会場の屋内体育館に収まりきらないほどの生徒が押し寄せ、壁によじ登っている人もいるほどでした。熱気と興奮の中、コンサートは終了しました。逆風の中ここまでやってきて、目標はただコンサート開催でした。しかしコンサートはお客さんあってのもの。あんなに支持され、熱い拍手をもらえるとは思ってもいませんでした。
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私を音楽に誘ったメンバーはみな音楽から足を洗ってしまいましたが、行きがかり上始めることになった私だけが、いまだに音楽を続けています。その後始めたテルミンでの演奏活動において、あのコンサートで受けた拍手の熱を超えるものは残念ながら一度もありません。何もないところから創り上げていく喜びも、その時に知りました。テルミンやマトリョミンでやろうとしていることと同じです。1981年のあのコンサートは、私にとっての音楽の原点です。
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[2015/07/15 19:42] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top
岩盤の声を聞け!
霊感のない、mand1です

私は地震の専門家でなく、その発生のしくみについてまったくわかりません。富士山のなりたちについて、複数の地下岩盤が押し合って、行き場を失った巨大な力が岩盤の隆起をもたらしあの形が造られたのだと素人考えしています。
岩盤どうしがぎゅうぎゅうと押し合いをすると電気を発すると云われていますね。それをキャッチしようとする地震予知の手法もあるそうですが、岩盤の声を聞ける人などいないのでしょうか? 

「あ、あー、もう限界」「もうだめ−、あれー!!!」

あの世や神とコンタクトをとれると称する人が世間にはごろごろいらっしゃるのですから、霊界との距離はいかほどかしれませんが、たぶん岩盤のほうがずっと近いのだし、聞こえやすいと思うのは私がどちらの分野においても門外漢だからでしょうか?

凡人には聞こえない岩盤の悲鳴をキャッチできるのであれば、英雄的に人助けができますし、怪しげな壺を売りつけたりするより、ビジネスとしても大成功しそうです。
[2015/06/17 09:21] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
テレビにルネサンスは来るか?
かくし芸の谷啓がみたい、mand1です

テレビがつまらなくなったと言われ久しいですが、それでも依然メディアの王様はテレビであり新聞だと思っています。私自身テルミンの活動においても、それを実感します。ネットは”何か”について深く調べるには向いていますが、その”何か”を知る機会の多くは新聞であり、テレビであることがほとんどです。特にテレビは受動的なメディアで、これに勝る機会はないと思っています。

テルミンが日本でこれほど知られるようになったのもテレビに依るところが大きく、テレビには感謝もしているのですが、あえて一言申し上げます。同じキャスト、同じ枠組みを繰り返しやるの、いい加減やめてみてはいかがでしょうか? テレビ(民放)は広告媒体であり、スポンサーの意向次第であることは理解しているのですが、好感度調査やマーケティングにより固定されたキャストを毎週、毎年やるのはただ飽きるだけでなく、ひいては日本の経済を停滞させることに繋がっていると考えています。勝ち馬にしか乗らず新しい才能を排除している姿勢、同じキャストが年々年老いていくのを見るのは、建設的なマインドを萎えさせているかもしれません。

某国営(公共)放送の朝のニュースの美術セットの意味不明さについてはヤンキー趣味の反映ということで理解はしているのですが、震災前と変わらぬセット、キャストは、2011年の辛い記憶を呼び覚まします。決して震災のことを忘れ、風化させるが良いというのではありません。新たな第一歩を踏み出すためには、枠組みの刷新が必要なのだろうと考えています。

今年の年末年始もデジャブが繰り広げられるのでしょうね。来年こそはテレビ界にルネサンスがもたらされますことを。
[2014/12/13 09:29] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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